「心ある社会のつくりかた」|自転車旅人・西川昌徳さんのdailylife stories#8
「人のつながりがどんどん希薄になってきてる」
「街にいても、電車に乗ってもみんな表情がない」
「疲れた顔した人ばかり」
海外での旅を終え、日本に帰ってくるたびにこんな言葉を聞く。それはいまのひとやまちの姿を見ている人たちが社会に対して抱く感情だ。そして、その会話の先には、たいていがネガティブな言葉が並ぶ。
スマホばかり。物騒な事件が。何考えているのか分からない。今の時代は。
果たして街行く人々の内面ってその言葉通りなのだろうか。自分ごととして考えてみたら、スマホ見過ぎちゃうこともあるし、嫌なことがあったり悩みがあったら心ここにあらずみたいなときもあるだろう。それにこの旅をはじめてから、どっちかというと街にどんどん表情が生まれてきているような気さえする。
実はDailylife bicycle coffeeをはじめた理由にはそんなところもある。
目次
*人が心を無くしたのか、それとも街が人をそうさせるのだろうか*
どうして社会から、人から心が薄れていくような感覚を人が抱くのだろうか。
【人が心を無くしたのか、それとも街が人をそうさせるのだろうか】
このことを僕は今回のフリーコーヒーの旅をとおして見つめてみたかった。
日々移動をしながら、街なかや商店街、公園でコーヒーを振る舞いはじめるのが僕の旅。
行き当たりばったりなので、SNSで追いかけてくれている人やお店とのコラボのときには、このコンセプトを知ってる人がやってくることもあるけれど、ほとんどの場合、僕のコーヒーを飲んでくれるのは「たまたまそこに居合わせた」人たちだ。
このフリーコーヒーが街で機能しなければ、そもそも人がこういう「よくわからないもの」に対して興味を向けるほどの心の余白がなくなっているだろう。しかし、もしフリーコーヒーを通して人が集いそこに言葉や表情があふれたならば、街に原因があるのかもしれない。この旅がはじまって9ヶ月。僕はこの旅でコーヒーを通して人と出会い、生かされ、旅を続けてくることができた。
いま自分の経験から言えることは、「人は本質として変わったわけじゃない。街に人の心を解放できる機能がなくなった。」ということだと思う。僕はフリーコーヒーをするときに、訪れた街にある「スキ」のようなものを見つけて自転車を停める。それは公園の木の下だったり、駅前の少し広場になっているところだったり、商店街のシャッターの前だったりする。
なんとなくここに自分がいたら街に馴染むな。なんとなく足を止めてほっこりしたくなるかな。
みたいなことを考えてフリーコーヒーをはじめる。
この旅をはじめたころはそんなことなくて、人通りが多いところ!目立つとこ!みたいな思いがあったのだけれど、僕がやりたいのはコーヒーを飲みに訪れる方との対話で、それは忙しすぎてもできないし、かといって誰も通らないところでは成り立たない。何度も何度もやっていくうちに、人と出会っていくうちに、なんとなくこの街のスキのようなところなら「ちょうどよい」ことがわかってきた。
*ひとつの輪になる*
誰にでも声をかけるわけじゃない。
なんとなく僕を見て歩みを止めるひと、看板を見ているひと、そんな人に「コーヒーいかがですか?」と声をかける。目の前を行き交う人には普通にこんにちは、とあいさつをする。もちろんそうして足を止める人は心に余白がある人だろう。どこかに急いでいたら、足を止めてコーヒーを飲む余裕はないかもしれない。
買い物に来たんですか?地元の方ですか?そんな言葉を投げかけ、そして質問に答えながら僕はコーヒーを淹れる。ときには物静かな人もいる。けれどみんなが僕の豆を挽いて、湯を沸かし、コーヒーを落とすのも見ながら少しずつ表情がゆるんでくる。そうして最後に落としたコーヒーをそばちょこに注いでて渡すときには、いい表情になっている。香りにつられてやってくる人、誰かが立ち止まっているのが気になってやってくる人。まっすぐ僕めがけてやってくる人もいれば、「実は3回ぐらい通りすぎたんですけど、どうしても気になって」みたいな人もいる。
コーヒーを淹れながら、人が集まってくると僕は会話の交通整理をする。誰かが取り残されないように会話を振っていく。そうしたらいつしか自分が話していなくても、たまたまやってきた人同士が打ち解けて、仲良くなって、連絡先を交換していたり、街行く人に声をかけてお客さんを呼びはじめたりする。
こないだ神戸の元町駅でフリーコーヒーをやっていたときに嬉しい言葉をかけてくれた人がいた。
そのお兄さんは、それぞれやってきた人たちがコーヒー片手に楽しそうに話すのを見ながらこう言った。
「あのぉ、これはサークルの活動なんですか?」
いえいえ、たまたまここにやってきた人ばかりなんですよ。と答えるとびっくりしていた。そうして彼もその輪に交ざり楽しそうに会話をはじめた。年齢も職業も、趣味さえもそれぞれ。けれどそれがひとつの輪になる。みんないい顔になって、手を振りながらそれぞれの人生に帰っていく様子を見ながら僕は、この旅がつくりだす新たな意味を思ったりする。
*僕が街でやっていることは、ほんの小さなこと*
たしかに街にはトラブルだってあるだろう。だからそうしないためにルールが作られる。
けれどルールとは本来「そこにいる人たちが気持ちよく過ごす」ために作られるものであって、それはそこにいる人たちに対する配慮がきちんとあるならば、いまほど厳密でなくてもいいと僕は思う。
外国のそれに比べ、日本の街には「禁止」ばかりが目につく。街、公園、学校にも注意書きが溢れてる。
たしかに事件、事故が起こればそれに対応しなければいけない。けれどリスクを排除するために、ルールや禁止事項ばかりをそこに置けば、その場所はきっと居心地のよくない場所になっていくだろう。人の心がそうであるように、街の姿もそうだと思う。
環境が人をつくり、環境がひとの心をそうさせる。
社会をどう見るか、人をどう見るか。それだけで見える世界はずいぶん違ってくると思う。
僕が街でやっていることは、ほんの小さなことだけれど、出会いコーヒーを飲んでくださったみなさんの帰り道に見る風景が少しでもやわらかであたたかいものになっていたらと願い僕は今日も、街でコーヒーを淹れる。
(つづく)
(執筆:西川昌徳)
プロフィール
西川 昌徳(にしかわ まさのり)さん
Masanori Nishikawa
自転車旅人
1983年兵庫県姫路市出身 徳島大学工学部機械工学科卒業
世界36カ国90,000km。世界中を自転車で旅する中で生まれた思いや学び、気づき、出会いの物語を伝える旅人。旅先と日本の学校をテレビ電話でつなぐ課外授業「ちきゅうの教科書」を実施するほか、日本各地で講演会を実施。地球上で最も活躍した冒険家、挑戦者、社会貢献活動を表彰するFAUST A.G. AWARDS 2014 ファウスト社会貢献活動受賞。
>>EARTH RIDE – MASANORI NISHIKAWA official website