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夏休みに子どもたちとともに旅した12日間740kmの旅|自転車旅人・西川昌徳さんのMOUNTAIN BIKE JOURNEY 2018#前編

MOUNTAIN BIKE JOURNEY

「いつか子どもたちとともに冒険の旅をしたい」

これは僕が、数年前から思い描いてきたアイデアだ。頭では描ける、けれども実現となると足がすくむ、そんな感じで時間だけが過ぎていった。

けれど今年、コーヒーを通して出会いと思いをつくる自転車旅dailylifeを日本でやることに決めたとき「はじめるなら今年しかない」と覚悟を決めた。

今回はdailylife番外編として、2018年の夏休みに子どもたちとともに旅した12日間旅のことを振り返ってみようと思う。

>>MOUNTAIN BIKE JOURNEY 2018|EARTH RIDE

「人生でいちばんつらくて感動した、新たな家族ができた夏休み」

「人生でいちばんつらくて感動した、新たな家族ができた夏休み」をキーワードに、あえて子どもたちを現地で出迎えるようなサポートは設けず、僕がやっているのと同じ、その日ごとに考えすすんでいく旅スタイルを貫くことにした。

正直、やると決めたものの不安しかなかった。スタッフとして協力してくれる人は現れるのか?参加してくれる子どもたちは集まるのか?自分が不安でいればいるほど、まわりからいただくご意見に頭がかき乱される。

ただの旅じゃない。誰かの命をあずかる旅だ。それでもこの怖さから逃げれば、僕にはこの旅をやる資格はないだろう。

スタート数日前までは、この不安や心のゆらめきと向き合い続けた。内定していた女性スタッフが来られなくなったり、参加申し込み後にキャンセルがあったり。

それでも参加してくれる子どもたちが確定し、旅をともにしてくれるスタッフと顔を合わせたとき、もうやるしかないんだなと心が定まった気がする。

「ぼくは、わたしは、日本一低い山から富士山のてっぺんまで自分のチカラで行ってきたよ」

この経験はきっと子どもたちにとって自分を信じることにつながる。胸を張って誰かに伝えられることになる。

スタートは日本一低いとされる大阪天保山(4.63m)、ゴールはみんなが知ってる富士山頂(3776m)だ。大阪から静岡の富士5合目までを自転車で旅をし、最後はみんなで歩いて富士登頂を目指す。

このぼうけん旅MOUNTAIN BIKE JOURNEYのメンバーはオトナ2人に子ども3人。家族としてはちょうどよい人数だ。

「スタート当日の朝」

今回スタッフとして参加してくれるカスミさんはついこの間までアフリカを自転車で1年半かけて旅していた。

看護師として働いてきた彼女は、日本での仕事復帰の前にこの旅に参加してくれることとなった。熱中症対策を考えたり、持病のある子への対応を家族とやり取りしたり、頼もしい存在となった。

かすみさん

サポートライダー

スタート当日の朝、大阪天保山に子どもたちがやってきた。それぞれお母さんが引率。

最年長のダイチは東京に住む中学1年生。

ダイチ

最年少のライリュウは横浜に住む小学5年生。

ライリュウ

出発準備

もうひとりの参加者であるリョウマは群馬に住む小学6年生だが、学校行事のために途中からの参加となる。

まずはオトナ2人、子ども2人の4人でのスタート。大阪天保山のてっぺんをみんなで踏み、家族にお別れを告げて旅がはじまった。

日本一低い山からスタート

家族との別れ

少しずつ前へ

予想はしていたものの大阪は交通量も信号も多く、なかなか前に進まない。ダイチはともかくライリュウはまだこの大きさの自転車に乗ったことがなく、さらには自分のキャンプ用品も積んでいる状態では結構フラつく。

気温もゆうに30度をこえていて、彼らの体力にも気を使いながら進んでいかなくてはならない。

初日2

初日1

休憩中

それでも、彼らは明るさだけは抜群に持っていて、はじめて訪れる関西なのも相まって、おもしろい看板を見つけたり、誰かに声をかけてもらっては楽しそうに走っている。

指差す先には

自転車ピクトを

休憩中

いろんな方からの応援が

お風呂でさっぱりと

なんとか暗くなるまで走り、たどりついた泉佐野。海の向こうには関西国際空港の明かりが見えている。

暗くなるまで走り

一日目の夜

テントを張る

「不安なのは…」

テントを張ったあと、さっきまであんなに元気だったライリュウが、突然足が痛いと泣き出した。

この世の終わりのような顔をして、もう歩けないとうずくまる。つまずいてもいないし、何か大きなチカラがかかったわけでもない。こんなときに試される。自分ではない他人のカラダとココロ。

僕はメンタルだと判断した。カスミさんとダイチにサポートをまかせて「おい!アイス買いに行くぞ!食べたきゃ片足でもついてこい!」と声をかけた。

アイスをうまそうに食べたあと、にっこり笑ってテントに戻るライリュウの1歩目が普通だったのを見届けて、もう大丈夫だと僕は先を歩く。

アイスを食べてニッコリ

みんなで夜の振り返りミーティングをして、彼らが寝たのを見届けてカスミさんとあらためて話し合う。

自分が果たして役に立っているのか、あのときの対応はあれでよかったのか。不安なのは子どもたちだけではなさそうだ。

大丈夫、僕は任せられない人にこんな大変なことをお願いしたりしないから。

そう伝えて僕らも寝ることにした。夜中にライリュウのすすり泣きがテントから聞こえてくる。カスミさんがつくと泣き、僕が様子を見に行くとビクッと泣き止んだ。

「勝負はどちらかというとメンタルだ」

なるべく朝はやくから走り始め、日が高いときにはしっかり休みをとる。そんなふうに僕らのペースをつかみながら和歌山へと入った。

準備をする子どもたち

二日目の黒板書き

二日目を走る

日中はしっかり休憩を

海が見えてはしゃいだり、僕らを見かけたというおじさんが差し入れのスイカにトマトを持って駆けつけてくれ笑顔でスイカにかぶりついたり。

スイカをくれたおじさん

うれしそうにスイカを食べる

休憩に、水分補給をまめに取らせていたら、思っていたほど熱中症の心配はなさそうだと彼らの姿を見て思う。

勝負はどちらかというとメンタルだ。

走る

パンを食べる

なんとかこの日も夕方まで走り、河原におりてキャンプをすることにした。

まわりにはなにもないので、今日のお風呂は川の水風呂。泳ぐ泳ぐ!とはしゃいでいたダイチも、僕が真っ暗な流れに入っていくのに怖気づいた。

結局彼らは橋桁のところに流れ込む、池のようになっているところに3人で入ってた。おーい、洗濯できないからバシャバシャ洗って、石で重しをして干すんだぞ。

夕方まで走る

川辺でキャンプ

「富士山にたどり着くために彼らが決めたこと」

走行距離は2日合わせても100kmほど。このままじゃとてもじゃないけど富士山には辿り着けない。

夜のミーティングで、富士山にたどり着くために彼らが決めたのが「早起き」だった。

まだ明るくなりはじめたころ起き出して、彼らのテントに声をかけ起こす。出発まではあえて声はかけない。自分たちで時間を考えながら動くことに慣れさせないと、ここ数日の彼らを見ていてそう思った。

朝早くに出発

三日目の朝

いまなんじ?つぎなにするの?なにたべる?きょうどこまでいくの?全部に答えていたら、すっかり僕は引率の先生だ。

旅を自分ごとにしていくために、僕は少し厳しいところを見せながら、彼らの様子を見守る。

ライリュウは上り坂で何度も泣いては、自転車を放り出す。駆け寄って声をかけてしまうカスミさんに、だいじょぶだからと代わりにダイチを行かせる。

オトナにはオトナの、子どもには子どもの世界がある。僕らが彼らの世界に入ってしまったら、お父さんお母さんの代わりになってしまう。

3日目を過ぎたあたりから、ライリュウが自転車を乗りこなすようになってきた。

ダイチにしっかりサポート役を任せたおかげ。

後ろからフォームをチェックしたり、前で声かけながら走ったり、彼の優しさにライリュウのワガママも出てきたが、なんとかバランスとりながらやっていってほしい。

ダイチは気づかいができるが、自分を押し込めてしまうようなところがある。それにパッと忘れ物をしたり、他に注意がそれたりする。

遊ぶところは、自分も一緒になって遊ぶ、引き締めるところはしっかり引き締める、怒る。

自分のココロの余裕のなさにも、凹んだりするけれど、そうして僕らはともに旅をすすめていく。

ライリュウがバランスを崩し、ワッ!と叫びながら草むらに突っ込んだ。

大きな泣き声が聞こえてくるかと思いきや、笑い声が聞こえてきた。大丈夫、旅とおなじで彼らも前にすすんでる。

「少しずつだけれど」

三重県に入った僕らを待っていたのは、台風のニュース。

どうやって夜をやり過ごそうかと思っていた僕らに尾鷲市に住む友人の森田さんが「ぜひうちに泊まって」と助け舟を出してくださった。

苦しい峠道を越えて、下りきったまちで迎えてくださった森田さん一家。

台風は夜中に上陸するようだ。夜みんなで話し合い、ここまでの疲れもあったので、明日は休養日とすることにした。

台風は夜中に通り過ぎ、翌日は森田家の子どもたちとともに、森田さんがシーカヤックツアーの拠点としている隣町に自転車で移動。

川遊びを楽しんだ夜ごはんは、彼らの好きなメニューを自分たちで作らせることにした。

新たな子どもたちとの時間に、ダイチもライリュウもしばし自転車のことを忘れて無邪気な子どもに戻っていた。

紀伊半島をぐるっとまわり、やってきたのは三重県伊勢。

だんだんと朝の支度にも慣れてきて、少しずつだけれど自分ごととしての自覚も芽生えてきたような気がする。

さあ船で対岸に渡ればそこは愛知県。

今日の午後には、もうひとりのメンバーであるリョウマが合流することになってる。

生まれてはじめての赤福餅をあっという間に平らげて、彼らは海を見つめる。

カラダもココロもまだまだ余裕がないはずの彼らに、これまでの日々は、これからの日々はどんなふうに見えているのだろうか。

中編へ続く

(執筆:西川昌徳)

プロフィール

西川 昌徳(にしかわ まさのり)さん
Masanori Nishikawa

自転車旅人
1983年兵庫県姫路市出身 徳島大学工学部機械工学科卒業
世界36カ国90,000km。世界中を自転車で旅する中で生まれた思いや学び、気づき、出会いの物語を伝える旅人。旅先と日本の学校をテレビ電話でつなぐ課外授業「ちきゅうの教科書」を実施するほか、日本各地で講演会を実施。地球上で最も活躍した冒険家、挑戦者、社会貢献活動を表彰するFAUST A.G. AWARDS 2014 ファウスト社会貢献活動受賞。

>>EARTH RIDE – MASANORI NISHIKAWA official website

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