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人生でいちばんつらくて感動した、新たな家族ができた夏休み・完結!|自転車旅人・西川昌徳さんのMOUNTAIN BIKE JOURNEY 2018#後編

「向き合い、向かう」

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残すところはあと2日。

あえて予定を立てない旅スタイルでやってきたこの旅。最初のペースがあがらないところから、だんだんと自転車を自分のものにしペースをあげながら、4時半起きで少しでも走行時間を長くとるという子どもたちのがんばりでなんとかここまでやってきた。

しかし、目指す富士山頂は見えていても、僕たちに余裕はまったくといっていいほどない。

彼らを引っ張るのではなく自分たちの旅として最後まで行かせてあげたいとは思いながら、このままで大丈夫なのだろうかと不安をあおる自分もいる。

この旅はまだ誰にも掴みどころのない、宙に浮いたままのものを必死にたぐり寄せようとしているような感覚に陥ることが何度もある。

富士5合目へとつながる富士山スカイラインを前に、富士宮のスーパーへ。

富士山に登るときの携帯食、今晩の食事、登山で必要な酸素など、この旅最後の買い出しのためだ。

いつもは子どもたちに任せている買い出しなのだが、待てども待てどもやってこない。どうしたもんかと様子を見に行くと、水に溶かす粉末のスポーツドリンクの味ひとつでモメていた。

どちらかというとほんわかしているダイチに、場に合わせることの多いリョウマ、割とこだわりの強いライリュウ。これまではお互い譲りあったりして決めていたのだが、まさかのここでトラブル。

たったひとつのパックをあいだに、険悪なムードが漂っている。

こんなことをしている場合じゃない!と叱り飛ばしてしまえば、次に向かえる。けれどもここで納得できないままの彼らを連れて行く旅は、もう彼らの旅ではなく自分にとっての都合の良い旅でしかない。

ここでもまた彼らとともに、自分との向き合いをもさせられる。常に試されているような感覚のなかで決断をしないといけない。

結局僕が状況を整理して、結局はダイチとリョウマ折れてくれたけど、スーパーからの彼らのペダリングはどことなく重いままだ。

 

自分に自信を持てるような旅にしてあげたい。家族みたいな心開ける存在でありたい。そんな思いでここまでやってきた。

しかし、どうしたって相性はあるし、どんどん体力も心の余裕も削られていく冒険旅では普段の優しい自分なんてあっという間にどこかに置いてきてしまう。

そんななかで向き合うのだ。

オトナとコドモという関係としてではなく、ひとりのヒトとヒトとして。きっと参加したひとりひとりに葛藤や焦りや悔しさや、いろんな感情があったのだろう、とこれを振り返る今だから思う。

「最後のキャンプ場へ」

ぽつぽつと続いていた住宅が途切れて、いよいよまわりは森だけになった。

グネグネと登りつづける道路に向き合う僕たち。YOUTUBEで彼らの好きな曲を聴きながらすっかり明るい子どもに戻った彼らも、すっかり日が沈んで真っ暗になり、ヘッドライトを点けて走るようになってからは、ほとんど声が笑い声が聴こえなくなった。

今日は何があっても富士2合目標高1200mにあるキャンプ場までたどり着かなくてはいけない。昼間のドタバタ劇がなければ・・・なんて頭をもたげそうになるたびに打ち消す。

僕らは家族であり運命共同体だ。

みんなが納得して、一緒にやることでしか意味をなさない。連れて行くだけだったら誰にでもできるんだ。彼らを信じなきゃ。そう自分に言い聞かせながら、最後尾につき前を走る子どもたちをライトで照らす。

ほんとはいつだって「いま」しかない。

言葉にしたら簡単なそのことが、こういう場面で試される。

 

気づいたらリョウマが泣いてる。

そう、今回の旅で、いつだってリョウマはひとり静かに涙を流してた。

声をあげないときは、自分との向き合いだから、気づいていたって声はかけない。

ダイチは最後まで先頭をがんばってたな。あいつはどこかで泣いていたのだろうか。

 

ライリュウは最初から最後まで泣き虫だった。最初は「もうがんばりたくない」というSOSを出すために。

けどこの最後の上り坂では、自分を奮い立たせるためのスイッチとして泣き続けながら、もうペダルを止めることはしなかった。

そんなライリュウの背中に声をかけながら、果のないように感じる夜道を走り続けた。

キャンプ場まであと3kmのところで、坂の上からまぶしいライトがこちらに向いて大きくなるのが見えた。街灯でも自動車でもない光にみんなして不思議な気持ちでいると「あと少しだよ!がんばれ!」と叫び声が届いた。

なんと友だちの松田さんが、僕たちを励ますために駆けつけてくださったのだ。どこかで合流できたら!と連絡をもらってはいたのだけれど、まさかキャンプ場で僕たちを待ち受けてくださっていたとは。

夜8時半、不思議な高揚感とともに僕たちはキャンプ場に到着した。

海抜から1200mまで標高をあげての70kmを走りきったのだ。みんなで乾杯をし、松田さんがわざわざお家から作ってきてくださったカレーをいただいた。

キャンプ場のスタッフさんもほんとに温かく僕たちを迎えてくださった。

 

夕食のあとダイチが鼻血を出した。疲れていたこと、カラダが火照っていたこともあってか血がなかなか止まらない。

カスミさんは看護師として冷静に彼の状態を見て、落ち着いて対処してくれた。

血が止まって、そのまま寝落ちしてしまったダイチを見守るために、スタッフさんがコテージを用意してくださり、カスミさんが付いてくれることになった。

松田さんはみんなが落ち着くまで居てくださった。カスミさん、松田さん、スタッフさんには感謝しかない。明日の動きはダイチの様子を見て決めることにして、子どもたちとカスミさんにおやすみを告げた。

ながいながい1日が終わった。

「最終日」

翌朝はゆっくり目に彼らを起こした。心配だったダイチは顔色もいいし、カスミさんとのやりとりでも大丈夫そう。

よし、これでまた全員で頂上を目指すことができる。

朝ごはんを作って食べて、キャンプ場のみなさんにお礼の挨拶をして走りはじめた。

2400m地点にある富士5合目までは20km、ひたすら登りしかない。

自転車を押して、ジグザグに登って、少しずつだけれど前に進む。イライラすることだってある。投げ出したくなることだってある。そんなときにこそ自分もみんなも試されているんだ。

あまりにつらくて、彼らに僕らの声が届かなくなったとき、「彼らにまかせてみよう」と思って僕とカスミさんは少し先を走ることにした。

しばらく先を走って待っていると、下から声が聞こえてくる。

いちばん小さくて、しんどいはずのライリュウに、リョウマがたくさん声をかけながら登ってる。そのふたりの姿を見守りながら、もう僕らは言葉で確かめる必要がなかった。

大丈夫、僕らが心配しなくても、彼らはもう自らの役割を見出して動くことができる。それを確かめることができた瞬間だった。


最後はみんな横並びで5合目のラインをまたいだ。

自転車で登ってきた僕らを登山客のみなさんは驚きをもって迎えてくださった。次々に声をかけてもらい、それに答える子どもたちはいつよりも誇らしそうだ。

そうだよ、僕たちはすごいことをやってきたんだよ。誰にだって胸をはれることを。

「御来光と富士山頂ゴール」

登山に必要な荷物を持ち、残りの荷物は山小屋に預け、自転車はしっかりロックをして、僕たちは7合目の山小屋を目指す。

なんだろうか、自転車から開放された嬉しさか、ついに富士山を登りはじめたという達成感からか、子どもたちの足取りは軽くてとてもここまで自転車で登ってきているという疲れは感じさせない良い登りをしてくれた。

7合目の御来光山荘が見えたとき、大きく手を振ってくれたのは僕が2012年にイランを走っているときに、数日一緒に過ごしたAYAちゃんだ。

これまでもそうだったけれど、知っている人が迎えてくれることほど嬉しいことはない。

子どもたちはこれまでの旅を楽しそうに彼女に語り、早めの夕食を食べて、明日のご来光と富士山登頂のために寝に行った。

僕はというと、ここまで来たという感慨なのか、登頂できるかという不安からなのか、ほんとに浅い眠りのまま、夜中に子どもたちを起こしたことだけ覚えている。

夜中に宿を発った。とてつもなく寒い。昨日まで熱中症にならないように気をつけていたのが夢のようだ。

全員の防寒着とヘッドライトをチェックして登山をはじめるが、リョウマはなんだか夢と現実をさまよっているように足取りがふらついてる。

声をかけて意識を引っ張りながらなんとか8合目までたどりつき、ここからご来光をおがむことにして、それまで子どもたちを寝かせたものの、ご来光直前まで彼らはすっかりスイッチオフだ。

よくここまでやってきたものだ。目の前にいるのは、疲れた子どもというよりも、何かに立ち向かい続けた戦士のよう。

そんな彼らを祝福するかのように、ここからご来光を拝むことができた。光とともに、空がだんだんと青く染まっていく。

日が昇ってからの彼らはとにかく足取り軽く登っていく。幸い高山病の症状もなさそうだ。一歩ずつ、頂上が近づいてくる。

彼らはいったい何を思うだろうか。

後ろから眺める彼らの背中はもう立派に自信が見て取れる背中になったと思う。

全員で頂上への一歩を踏み、山頂にある神社の鳥居にゴールのタッチをした。

ほんとにやりとげた。思いが込み上げてくるというよりかは、もしかしたらやりきったという安堵感のほうが僕も彼らも強かったのかもしれない。

頂上に登った瞬間よりも、お祝いということでコーラを飲みながら、山頂手前で破裂してしまったポテトチップスをみんなで食べているときに、なんだかじんわりと嬉しくなってきたような気がする。

ここまで旅を共にしてきた看板に「大阪→富士山頂 12日737kmゴールしました!」と書き込み山を下る。

もう5合目には彼らの家族がまだかまだかと待ってくださっているはずだ。

みんなで走るように山を駆け下りてきて、6合目あたりで声をかけた。

「僕らの旅はもうすぐ終わり。これまでのことを振り返りながら最後は下ろう。」

とたんに彼らの足どりがゆっくりになった。

心のなかで彼らはいま、どんなことを思っているのだろうか。彼らの心に浮かぶ思い出はなにだろうか。

 

ついに5合目で待つ親御さんの姿が見えた。子どもたちに「いってこい!」と声をかけた。

それぞれの親の前に立つ子どもたちをちょっと離れたところで見ていた。

ダイチが自分の親に向かって、きょうつけ、れいをしながら発した言葉は「どうも!」だった。

2週間ぶりの再会、あいつのなかではどんな思いが生まれたのだろうか。

リョウマもライリュウも少しだけぎこちなさそうに親御さんに挨拶をしていた。

「この旅最後のミーティング」

この旅最後のミーティング。

これが終われば、みんなさよならだ。

そんなときに自分が情けないったらありゃしない。子どもたちひとりひとりの旅を振り返り、彼らを見守りながら生まれていた言葉をつむぎながら、涙が止まらない。

それは子どもたちだって同じだ。ダイチは流れる涙をそのままにしながら何度もうなずいていた。リョウマは泣きながら自分の言葉で思いを語った。ライリュウは昨日まであんなによく話したのに、ご両親のまえなのか言葉が少ない。

そりゃそれぞれあるよな。すぐに思いが言葉につながるはずなんてない。

それぞれが日常にまた戻っていきながら思うこと、いつかまたこの旅を思い出すときに浮かんでくることだってあるだろう。

 

君たちはすごいことをやってのけたんだ。学校の誰にだって胸を張って自慢できる。

「おれは日本一低い山から富士山の山頂まで旅をしたんだ」って。

そして、何か助けが必要なときはいつだって連絡してこいよ。僕らはもう家族みたいなものだから。それは生きているあいだずっとだからな。

 

そう彼らに託した。ありがとう。君たちとした旅はサイコーにうまくいかなくて、そして楽しかったよ。

必ず再会しような。ひとりひとりと握手をして、僕たちの旅は終わった。

「あとがき」

家へと帰るとき、僕は2週間ぶりにひとりになった。

なんだかすごいことをやりきったのではないかという思いとともに、まだフワフワしたボールに乗っかっているような不思議な感覚のなかにいる。

けどまだ、この旅を振り返ってまとめるほどの心の余裕はないようだ。それでも「来年もやろう」ということだけは心が決まっていた。

 

自転車で旅しはじめて13年。はじめのころってすべてが新鮮でドキドキして、そしてうまくいかなかったんだ。

全く目の前が見えないなかを、踏み出す一歩ほどこわいものはなくて、けれどもそんな体験こそが僕の心にずっと残っている。

まさかこれだけ旅をしてきて、またあのこわさと出会えるなんて思っていなかった。それほどまでに、今回の旅は企画段階から不安で、こわい気持ちでいっぱいだった。

それでも信じることができたのは、この企画に関わってくださった方々、そして子どもたちを送り出してくださった親御さん、そしてメンバーみんながいてくれたからこそだ。

 

いつだってそうだ。新たな一歩を踏み出すことはこわいものなんだ。

けれどその一歩には大きな大きな可能性が含まれている。そのことを信じられるかどうか。

 

僕はこれまでの旅ではそれを自分でやってきた。自分を信じることで。

けれど今回は違ったんだ。それは、ほかの人を信じることでもあった。

そうしたら不思議なことが起こったんだ。

 

この旅で僕は、自分が想像もしない世界の広がりを感じた。

そこには「たくす」というような感覚があったように思う。

自分の経験を、思いを、そして自分自身の存在をたくすような感覚だ。

 

もしかしたら人はこうして何かをたくしながら生きてきたのかもしれない。

これまでにいただいたどんなご褒美よりも自分の心の深くに届いたような気がした。

「生きていてよかった」そうなんの疑いもなく思えるような感覚がそこにはあった。

 

ありがとう。

はじめてその言葉が誰かに対してだけじゃなく、自分にも向いたかもしれない。

そんな不思議な感覚に包まれながら、僕は少しずつ自分の住むまちへと進んでいく新幹線に揺られていた。

(終わり)

(執筆:西川昌徳)

MOUNTAIN BIKE JOURNEYとは

MOUNTAIN BIKE JOURNEYは、日本一低い山・天保山から日本一高い山・富士山頂まで12日間かけて目指す冒険自転車旅プログラム(全行程740km、小学6年生対象)。

世界を走った自転車旅人・西川昌徳さんならではの、「旅」や「冒険」をキーワードとしたCAMPプログラムのひとつです。

>>MOUNTAIN BIKE JOURNEY 2018|EARTH RIDE

プロフィール

西川 昌徳(にしかわ まさのり)さん
Masanori Nishikawa

自転車旅人
1983年兵庫県姫路市出身 徳島大学工学部機械工学科卒業
世界36カ国90,000km。世界中を自転車で旅する中で生まれた思いや学び、気づき、出会いの物語を伝える旅人。旅先と日本の学校をテレビ電話でつなぐ課外授業「ちきゅうの教科書」を実施するほか、日本各地で講演会を実施。地球上で最も活躍した冒険家、挑戦者、社会貢献活動を表彰するFAUST A.G. AWARDS 2014 ファウスト社会貢献活動受賞。

>>EARTH RIDE – MASANORI NISHIKAWA official website

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