吉野山と周辺の歴史、景色を楽しめるサイクリングコースです。登り坂を含む中級コース。途中に見晴らしの良いスポットがいくつもあるので、休憩を挟みながら無理のない範囲で楽しみましょう。
※オンラインの地図上でサイクリングルートが閲覧できるウェブサイト「ルートラボ」が2020年3月末でサービス終了したため、「bikemap」に変更したことで、bikemap内の距離や高低差に誤差が生じている場合がありますが、ご理解ご了承の程、よろしくお願いします。
エコで快適なE-bike(電動アシスト付き自転車)で歴史文化、自然豊かな「吉野」を満喫しよう!
上市駅前観光案内所(運営:上市笑転会(かみいちしょうてんかい))では、吉野の坂道もパワフルに、街中を爽快に駆け抜けるパナソニック社製E-bike「XU1」(5台、かご無し)、「ジェッター」(6台、かご付き)をご用意しております。
銅の鳥居(かねのとりい)の本来の名称は「発心門(ほっしんもん)」といい、菩提心を発するところとされ、初めて大峯修行を志す行者の行場の一つです。高さ7.6m。創立年代は不明ですが、聖武天皇が奈良の大仏の余銅で造られたという伝説があります。吉野山から大峯山上「修行」の間にある金峯山四門の第一門で、「修行」「等覚」「妙覚」の三つの門が後に続きます。
修験道の根本道場である金峯山寺本堂「蔵王堂」は、国宝かつ世界遺産の中核資産でもある修験道の中心寺院。日本最大秘仏のご本尊金剛蔵王大権現の尊像3体ほか、多くの尊像が内部に安置されています。単層裳階付き入母屋造り檜皮葺きで、高さ34m、裳階の四方36mと、木造古建築としては東大寺大殿に次ぐ大きさを誇る豪壮な建築物です。
世界遺産構成文化財。もとは金峯山寺の格式高い僧坊で、明治の神仏分離によって神社となりました。源義経が弁慶らと身を隠したこと、後醍醐天皇の行宮であったこと、豊臣秀吉が花見の本陣としたなどの歴史的逸話も。書院は我が国の住宅建築で最古といわれ、重要文化財に指定。境内からは中千本、上千本の山桜を一望できる名勝「一目千本」があります。
獅子尾坂をのぼりつめたところにある世尊寺跡の一角を「花矢倉」といいます。謡曲「忠信」の舞台にもなった所で、源義経の家来であった佐藤忠信が独り踏みとどまり、追手に矢を射かけてたところとされています。付近は、眼下の吉野山の街並みや、金剛葛城の山並みが一望できる絶好のビューポイントです。
水の分配を司る天水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神に玉依姫命(たまよりひめのみこと)(神像は国宝)以下6柱の神を祀る世界遺産の神社
子守宮(こもりのみや)ともいい、子授け・安産・子どもの守護神として篤く信仰されている。
豊臣秀吉が子授け祈願をし、その子秀頼を授かったことから、現在の社殿はその申し子である秀頼が慶長9年(1604)年に再建したもので、桃山様式建築の三殿一棟の本殿・幣殿・拝殿・楼門・回廊は国の重要文化財に指定された美しい建築
世界遺産 延喜式内大社名神大社
吉野山の奥千本にひっそりと立つ古社で、金峯山(吉野山から大峯山上ヶ岳一帯)の地主の神 金山毘古神(かなやまひこのかみ)を祀る。昔からこの神を生物の枯死を防ぐ神として崇敬された外、金峯総領の地主神として金鉱の山を司る黄金の神として祀られてきた。中世以降修験道の行場として知られる。拝殿は、旧吉野神宮にあった拝殿を移築された。
社殿を少し下った所に、追っ手に追われた源義経が身を隠したという義経隠れ塔が残る。追っ手に囲まれた際、屋根を蹴破って逃げたことから蹴抜けの塔ともいわれる。